【前編】文章コミュニケーションの本質|文章力を鍛える方法

99ef1ce9b54971dca4cbd5e674eb138fb353cc4d
文章コミュニケーションの本質|文章力を鍛える方法【第1弾】

ライティングスキル、いわゆる文章力の重要性はかなり高まっています。記事を主体としたメディアでのマーケティング(=コンテンツマーケティング)への取り組みは、ライティングスキルが基盤になります。コンテンツマーケティングは輝かしいいくつかの成功事例と、例を挙げられないほど(失敗例は日の目を浴びず消えていくので)大量の失敗例があります。
コンテンツマーケティングが失敗する理由の第1位は、コンセプト、戦略がないことですが、2番目の理由は文章力の欠如です。

これまで一部の職種でだけ求められてきた文章力が、デジタル化の影響でビジネスの基本且つ最重要スキルになりました。打ち合わせや電話のような音声コミュニケーションの機会が減り、メールやチャットといったテキストコミュニケーションが増えています。文章力が高い人は、企画書、提案資料、記事作成、SNS更新など様々なメディアでメッセージを届け、影響力を高めることができます。

しかし、多くの人はそこまで文章力を重要視していないのではないでしょうか。特別こだわらなくても、多くの場合日本語は通じます。文章力がなくて困る機会は意外と少ないと思います。
でも、文章力がないことで逃してきた機会は甚大です。人気のない記事も、文章力があれば数百倍(実際、これくらいの差が生まれることは珍しくありません)のアクセスにつながったかもしれません。2回、3回とやり取りして意思疎通ができないメールも、文章力があれば1回で済んだかもしれません。通らなかった企画書も、文章力があれば通ったかもしれません。
文章力は直接損失を与えるというよりも、機会を奪うタイプのスキルです。そのため、重要性に気付かないのも仕方ありません。

私はGrabの編集を通じて200本ほどの記事を書いてきました。今回は、2回に分けて「効果的な文章を書く方法」を紹介していきます。

ちなみに、ここでは「ライティング」と「文章を書くこと」を同じ意味で使っていますが、適宜使い分けています。「記事の文章を書くこと」というよりも「記事ライティング」といった方が分かりやすいからです。
また、基盤にあるのはオウンドメディア運営などで活躍する記事ライティングのノウハウです。

【後編】分かりやすい文章5つの要素|文章力を鍛える方法

なぜ「文章」なのか

なぜ文書なのか

「画像の情報量は文字の7倍」
「動画の情報量は文字の5000倍」
「動画は文字の2倍記憶に残りやすい」

こうした言葉を聞いたことがあると思います。では、なぜ「文章」なのでしょうか。数字だけで考えると、文章力を高めるより、動画編集スキルを磨いた方がよさそうです(実際、動画編集スキルは市場価値が高い)。
メールを書くより、ボイスメモを送ったほうが効率的な気がします。
しかし、依然として世の中の情報は大半が「文章」です。

5Gになれば通信速度が速くなって動画が増えるといわれていますが、本当にそうでしょうか。個人的には今でも不快なほど動画の通信速度が遅いとは思いません。
ネット通信速度やデバイス性能、ツール・ソフトウェアの進歩によって、コミュニケーション手法は文章→音声→画像→動画へと進歩していくと考えられていました。現在、通信速度もデバイス性能も十分ですが、文章によるコミュニケーションが廃れたようには見えません。

なぜか。

それにはいくつか理由があるので、それぞれ見ていきましょう。

「読む」ことは「聞く」や「見る」より能動的

「文章」を読むことは能動的な作用で、映像を見る、音声を聞くことは受動的な作用です。映像も音声も、受け手が積極的にインプットしようとしなくても勝手に入ってきます。本は意識的に読まないと1行も進みませんが、映画はボーっとしていても進んでいきますよね。

受動的か能動的か。コミュニケーションにおいてこの差がどれだけ重要かは経験から知っていると思います。
受動的に先生の話を聞いていた場合、授業が終わるころには忘れていると思います。でも、自分から積極的に質問したり、ノートをとったり能動的に学んだことはなかなか忘れなかったのではないでしょうか?
仕事でも、言われたことを言われた通りにやる受動的なスタンスと、自ら企画して推し進める能動的なスタンスでは、成果が全く違います。

ラーニングピラミッド

ラーニングピラミッド

学習効率の話をすると、ラーニングピラミッドを思い出す方も多いでしょう。しかし、これには受動的か能動的かの判断が入っていません。自ら体験しても寝ぼけた状態では学習できませんし、グループ討論も積極的に参加しなければ何も残りません。興味がない製品のデモンストレーションを見て、30%も記憶できるのでしょうか。

文章によるコミュニケーションは「読書」にあたり、映像などの「視聴覚」より劣ります。ただし、これはあくまでも能動的に学んだ場合です。視聴覚やデモンストレーション、グループ討論には受動的に受け取るという選択肢があります。
前述の通り、受動的に読書することはできません。読書は自らの意思、理解力をもって読み進めるものだからです。昨日見たテレビ番組の合間に流れたCMをどれだけ覚えていますか?私は20%も覚えていないです。YouTubeを自動再生して音楽を聴いていて、後で何を聞いていたかどれだけ思い出せますか?

ラーニングピラミッドによって誤解されがちですが、文章は非常に優れたコミュニケーション手法です。
受動的にグループ討論に参加するくらいなら、後で討論の議事録を読んだ方が記憶に残ります。

動画の5000分の1の情報量だから

りんご

 

この画像を見て何が思い浮かびますか?
「りんご」という言葉にそこまで自由度はありませんが、それでも見た人全員、違うイメージが思い浮かんでいるはずです。全く同じ色味、形のりんごを思い浮かべた人は一人としていません。

 

りんご

 

ではこちらはどうでしょうか。この場合、全員が同じイメージを思い浮かべます(というよりは認識します)。一切の差異はありません。

もう一つ、例を挙げてみます。

 

幸せ

 

こちらはどうでしょか。「幸せ」という言葉から思い浮かぶイメージは、りんごの何倍も人それぞれのはずです。

 

幸せ

 

この画像を見たときはどうでしょうか。こちらも「幸せ」の一つの形態を表したものです。全員が同じ幸せの形をイメージしたと思います。

こうした比較は動画とテキストを比べればより顕著です。
画像は文章の7倍、動画は文章の5000倍の情報量があるといわれています。それだけの情報量があるため、伝えたいことを均一にすることができます。しかしそこに想像の余地はほとんどありません。
「幸せ」という言葉を見たとき、いろんなイメージが浮かび、いろんなことを考えたと思います。大量のお金や高級車など物質的なイメージが浮かんだ方もいるかもしれません。オーロラやグランドキャニオンを見に行くなど体験的なイメージが浮かんが人もいるでしょう。一方、幸せをイメージした画像を見たとき、そうした作用はあまり生まれません(少しはあります)。

情報量が増えるほど具体的になり、少ないほど抽象的になります。そして具体的なほどメッセージからノイズがなくなり正確に伝わり、抽象的なほど考える余地が生まれます。
それ自体が良い・悪いということではなく、そういう特徴があると認識する必要があります。

例えば、こうして記事を書いているのは、読んでいるあなたに情報を伝え、自身の仕事や生活に文章力を活かしてほしいからです。そのためには、あなた自身が能動的に学び、あなた自身に考えてもらわないといけません。

文章は映像の5000分の1の情報しかないので、あなた自身が考える余地が大量にあります。それが、双方向のコミュニケーションにおいて重要なのです。
双方向のコミュニケーションという言葉が出てきました。こういう文章は一方通行のコミュニケーションと考えられがちですが、原則、一方通行で完結するコミュニケーションは存在しません。
この文章をどのように解釈するかは読み手にゆだねられています。これは映像や音声でも同じですが、解釈の余地が文章のほうが大きいため、より双方向性が強いのです。

また、情報量が少ないからこそ、実際に伝わる量とスピードが上がるという不思議な現象もあります。
映像には5000倍の情報量がありますが、では1分で読める記事の内容を動画にしたとき、0.012秒で伝わるでしょうか?
そんなわけないですよね。通常、読んで1分の内容を映像にすると、3~5分程度になります。
文章は情報量が少なく、抽象的な概念によるコミュニケーションになります。そして抽象的な概念は背景に膨大な情報を含んでおり、読み手によって具体化されます。読み手は具体化するときにすでに持っている情報を使うため、すべてを伝えようとするより効率的なのです。

情報処理を自分でマネジメントできる

文章コミュニケーションの最大の特徴は、情報を得る時間を自分でマネジメントできることです。人によって情報処理のスピード、重要だと思う部分は様々です。文章であれば、あなたは不要だと思う部分を気軽に読み飛ばすこともできれば、重要だと思う部分を何度も繰り返したり、ゆっくり読んだりすることができます。

情報処理の方法が受け手にゆだねられている。これはコミュニケーションで非常に重要です。情報処理が完全に発信者にゆだねられている場合、これは「一方通行のコミュニケーション」といえます。
映像も、止めたり飛ばしたり巻き戻したりできますし、テレビもつけたり消したり、録画して何度も観たりといったことができます。しかし、原則として情報処理の順序やスピードは発信者にゆだねられています。この点でも、文章のほうが双方向性が強いのです。

このほかにもコミュニケーション手法として文章が優れている理由はいろいろあります。

映像や音声、画像と文章では、そもそも脳の処理方法も違います。
「5Gになると映像の時代が来る」「文章力よりもその他のコミュニケーションのほうが重要」という意見もあり、それはある点では正しいでしょう。しかし、欲しい情報は人それぞれであり、情報の受け手がマネジメントしなければなりません。人間の脳の構造が変わるなど大幅なイノベーションがない限り、文章の優位性は変わりません。

コミュニケーションの本質

ここまで、なぜ文章なのかを書いてきました。まとめると、文章、画像、音声、映像などいまあるコミュニケーション方法の中でも、一般に思われている以上に効果的、効率的だということです。
もちろん、状況や目的によって様々です。テレビのバラエティが文章になったらつまらないでしょう。しかし、ビジネスメールやプライベートのチャットが全部音声チャットになったらかなり面倒です。小説には小説の良さがあり、それが映画化したからといって価値がなくなるわけではありません。それに、小説を読んだら映画を見る必要がないというわけでもありません。

情報技術の発達に伴い文章→画像→音声→映像とコミュニケーション手法の開発が進んでいきました。しかしそれは、文章よりも映像のほうが優れているということではないのです。

それではここから、コミュニケーションの本質を探ってみたいと思います。非常に難しいテーマで、この記事だけで本質を完全に伝えることはできないと思います。このテーマに関してはいろいろな本も出版されているので、ぜひそうしたものを読んで深めていってください。

コミュニケーションの本質は情報の共有

「人は他人から理解されたいという基本的欲求がある」といった心理学的な要素から展開しても面白いのですが、長くなりそうなので明確な定義から深堀していきます。

広辞苑でコミュニケーションを調べると、次のようにあります。

①社会生活を営む人間の間に行われる知覚・感情・思考の伝達。言語・文字その他視覚・聴覚に訴える各種のものを媒介とする。
②動物個体間での、身振りや音声・匂いなどによる情報の伝達。
③細胞間の物質の伝達または移動。細胞間コミュニケーション。

また、コミュニケーション (communication) の語源はラテン語のコムニカチオ (communicatio) で、その意味は「分かちあうこと、共有すること」なのだそうです。

このことから、コミュニケーションは「文章や映像などを媒介して、情報を伝え、共有すること」と言えます。

先ほど、「りんご」という言葉と、「りんごの画像」をお見せしました。それによって、りんごという共通のイメージをお互いに抱くことができました。これがコミュニケーションです。りんごという言葉も、りんごの画像もなければ、木になる直径10cmほどの赤くてつやつやした果物のイメージを共有するのはとても大変です。
文章も映像も画像も、相手と何らかの情報を共有するための手段の一つです。

ここで、前述の情報量の話を思い出してください。私は「情報量が増えるほど具体的になり、少ないほど抽象的になる。具体的なほどメッセージからノイズがなくなり正確に伝わり、抽象的なほど考える余地が生まれる」と書きました。
そう考えると、情報を共有するうえで文章より映像のほうが優れているように感じます。

しかしそれは、コミュニケーションの目的と共有したい内容によります。単純にりんごのイメージを共有したいなら画像や映像のほうが優れているでしょう。しかし、「世界一美味しいりんご」というイメージを共有したい場合、映像や画像でいいでしょうか。
おそらく、「世界一美味しいりんご」と聞いて私が浮かべるイメージとあなたが浮かべるイメージは違います。しかし、お互いに「世界一美味しいりんご」というイメージを共有しているという点ではコミュニケーションが成立しています。

私は、収穫されたばかりで、朝露に濡れた真っ赤なりんごが浮かびました。でもあなたは、高級な木箱につめられたりんごを思い浮かべたかもしれません。お皿に盛りつけられた状態を思い浮かべたかもしれません。
では、画像で表現してみましょう。私が思い描いたものに近い画像がありました。

筆者が思い描く「世界一美味しいりんご」

筆者が思い描く「世界一美味しいりんご」

さて、これはあなたにとって「世界一美味しいりんご」でしょうか。

おそらく違うと思います。私がコミュニケーションしたかった(共有したかった)ことは、「世界一美味しいりんご」です。しかし、あなたがこの画像を見て「朝露に濡れた新鮮なりんご」と解釈したら、コミュニケーションに失敗したことになります。
これは、映像や画像の弱点で、イメージを固定してしまう分、抽象的な概念を共有するのに向いていないのです。

コミュニケーションの本質は「情報を共有すること」です。
そう考えたとき、共有したい情報によって適切な手法はおのずと決まります。

文章はイメージを抽象化して伝える

では続いて、この画像を見てください。
有名なだまし絵の実験なので、ご存知の方も多いかもしれません。

だまし絵 老婆

 

何に見えますか?
おそらく老婆に見えた方がほとんどだと思います。

続いてこちらを見てください。

 

だまし絵

 

何に見えますか?
先ほどの絵を少し丁寧に書いただけで、同じような老婆に見えたと思います。

しかし、ある人はこの画像をみて「若い女性」だといいます。なぜでしょうか?

今見た2枚を忘れて(忘れることはできないと思うので忘れたつもりになって)この画像を見てください。

 

だまし絵 若い女性

 

何に見えますか?
若い女性に見えた方がほとんどだと思います。

では続いて、こちらを見てください。

 

だまし絵

 

若い女性に見えましたか?

ここで伝えたいことは、同じものを見ても伝わることは違う場合があるということです。

最初から丁寧に書かれた画像を見た場合、女性と老婆という答えが半々くらいになるそうです。しかし、最初に粗い老婆の画像を見た人は、ほとんど老婆に見えます。逆に粗い若い女性の画像を見た人は、ほとんどが若い女性に見えます。

文章によるコミュニケーションは書き手の頭の中にあるイメージを抽象的な概念として伝える作業です。あなたの頭の中には若い女性が浮かんでいて、それを表現したかもしれません。しかし、表現された文章は見る人によって若い女性にも老婆にも見えるあいまいなものかもしれません。

あるバラエティを見て面白く感じる人もいれば不快に感じる人もいるように、同じ情報を提供しても、受け取り方が異なります。
このこともコミュニケーションの本質として抑えておいた方が良いでしょう。

詳しくは後編で紹介したいと思いますが、一つの文章をどう捉えるか、書き手が思っているよりバラバラです。

例えば、
「AさんはBさんとCさんの息子に会った」
という文章。

どういうシーンが思い浮かびますか?
「Aさんが一人でいて、BさんとCさん2人(夫婦)の息子さんに会った」と解釈する人と、「AさんがBさんと一緒にいて、Cさんの息子さんに会った」という解釈ができます。「Aさんが一人でいて、Bさんの息子とCさんそれぞれの息子に会った」という解釈もできますね。

書き手は「AさんはBさんと一緒にいて、Cさんの息子に会った」と書いたつもりで、「AさんはBさんとCさんの息子に会った」と書いていることがよくあるのです。
これでは、抽象化に失敗し、共有したいイメージが正確に共有できていません。

書き手の頭の中には「Aさんは、Bさんと一緒にいて、Cの息子に会った」という(実際にはもっと具体的な)イメージが浮かんでいて、それを抽象化する過程で「AさんはBさんとCさんの息子に会った」となってしまい、コミュニケーションが成立しない可能性を生んでいます。
後で読み返しても書き手にとって「AさんはBさんとCさんの息子に会った」は「Aさんは、Bさんと一緒にいて、Cの息子に会った」というイメージそのものなので、そのことに気付けません。
例のだまし絵を見て老婆だと思ったら、他人から指摘されるまで若い女性にも見えることはなかなか気付かないと思いますが、それと同じです。

コミュニケーションがうまくいかない、今回のテーマに沿っていうと、文章がうまく伝わらない原因は多くの場合、抽象化の失敗にあります。

文章コミュニケーションは次の流れで成立します。

1.書き手が頭の中に伝えたいイメージを具体的に抱く

2.それを抽象化し文章にする

3.読み手は抽象化された文章読み、イメージとして具体化する

人は文章という抽象的な物を読みながら頭の中にイメージを作り上げていきます。翻訳のようなものと考えれば分かりやすいかもしれません。書き手はイメージAをメッセージA’に翻訳し、読み手はメッセージA’をイメージA’’に翻訳しなおします。この時、書き手のメッセージAと読み手のメッセージA’’が一致しているといいコミュニケーションと言えます。

コミュニケーションはメッセージの翻訳

りんごの例でいうと、私が「世界一美味しいりんご」というイメージを、「自分が思い描く世界一美味しいりんごのイメージに近い画像」というメッセージに翻訳しました。それをあなたが「新鮮なりんご」というイメージに翻訳しなおしたとします。画像だとこうした翻訳ミスは顕著で分かりやすいのですが、文章においても翻訳過程でミスが起こることはよくあります。

本質がスタートライン

これから数回に分けて文章力を高める方法、とくにコンテンツマーケティングを成功させるための文章力を紹介していきますが、今回紹介したことがスタートラインになります。
今回の内容は抽象的すぎて、実際の文章作成に活かせないと感じるかもしれません。しかし、どんなスキルも根底となるのはその本質、マインドセットです。文章とは何か、コミュニケーションとは何かを知ることは、文章力を鍛える土台になります。文章コミュニケーションが、「文章を使って抽象的な概念を共有すること」ではなく、「一方的に情報を与える事」と考えていたら、文章力を鍛える事はできません。一方的に情報を与えるだけなら文章である必要はありませんし、受け手に対する考慮も必要ないからです。
後編ではより具体的なテクニックを紹介しますが、文章を書くときは今回紹介しただまし絵を思い出してください。

あなたが書いた文章は人によって数パターンの解釈ができるでしょう。文章はそもそも抽象的な概念を伝えるものなので、それ自体は問題ありません。しかし、老婆のイメージを伝えたいのに若い女性に見えてしまうのは問題です。AさんとBさんが一緒にいて、Cさんの息子に会ったことを伝えたいのに、AさんがBさんとCさんそれぞれの息子に会ったと思われることも問題です。

後編では、分かりやすい文章とは何か、そのために必要な技術を紹介します。

【後編】分かりやすい文章5つの要素|文章力を鍛える方法